tsujimotterのノートブック

日曜数学者 tsujimotter の「趣味で数学」実践ノート

虚数乗法論 (1):イントロ

今回から数回に分けて 虚数乗法 について解説するシリーズをはじめたいと思います。

その初回として「虚数乗法とは何なのか」「虚数乗法の何がおもしろいのか」について、かいつまんで紹介したいと思います。これを機に虚数乗法について興味を持っていただければ幸いです。

概略を紹介する記事ですので、細かいところは理解しなくても問題ありません。詳しい説明は、本シリーズの別の記事でじっくり行いたいと思います。

シリーズの記事は、こちらのタグから検索ください。
tsujimotter.hatenablog.com


虚数乗法とは

ここでは「虚数乗法とは何か」ということについて、ざっくりと説明したいと思います。

まずは、何はともあれ、虚数乗法の定義を眺めておきましょう。

定義(虚数乗法)
 \mathbb{C} 上の楕円定義  E/\mathbb{C}虚数乗法を持つとは, E \mathbb{Z} より真に大きい自己準同型環  \text{End}(E) を持つことをいう.

この定義の意味するところについては今後丁寧に解説していきたいと思いますが、ここではポイントだけを押さえておきましょう。

まず注目すべきは、虚数乗法というものは「楕円曲線の持つ性質である」ということです。

自己準同型環とは、その名の通り「自己準同型」の「環」です。 E から  E への(つまり自分自身への)準同型写像

 \phi : E \longrightarrow E

を考えます。「準同型」というからには、何がしかの演算を保存するわけですが、よく知られたように楕円曲線には「加法」の演算が入ります。ここで定義は述べませんが、 E 上の点  P, Q に対して  P + Q が定まるのです。よって、 E 上の自己準同型においては

 \phi(P+Q) = \phi(P) + \phi(Q)

が成り立つということです。

 E には、具体的にどのような準同型が考えられるでしょうか。すぐにわかる準同型として「 n 倍写像」があります。

 \displaystyle [n] P := \underbrace{P + P + \cdots + P}_{n \; \text{times}}

と定義すると  [n] は楕円曲線上の点を  n 倍する写像となります。これは明らかに準同型写像になります。 n としては、整数全体をとることができるので、一般に楕円曲線は  \mathbb{Z} と「同じ個数」の自己準同型をもちます。

一方で、もし  [n], n\in \mathbb{Z} と書けないタイプの準同型を持つ楕円曲線があれば、そのような楕円曲線は「虚数乗法を持つ」というのです。


虚数乗法を持つ楕円曲線の例をあげましょう。

 E: y^2 = x^3 + x \tag{1}

としたとき

 (x, y) \mapsto (-x, \sqrt{-1} y) \tag{2}

という写像は自己準同型写像です(上の式に代入してみましょう)。また、これに相当する  n 倍写像は存在しません。したがって、式  (1) の楕円曲線は虚数乗法を持ちます。


実は、虚数乗法をもつ楕円曲線は「レア」である、という点を指摘しておきたいと思います。きわめてレアです。SR(スーパーレア)です。

どのぐらいレアかというと――楕円曲線ダーツがあったとして、目をつぶって投げると、確率  1 で虚数乗法を持たない楕円曲線に当たる――ぐらいレアです。


「じゃあなんでそんなレア物を考えるのか?」と疑問に思うかもしれません。その質問に対する私なりの答えは、虚数乗法を持つ楕円曲線には、非常に美しい性質があるからです。

虚数乗法論を切り開いた大数学者の一人である、ダフィット・ヒルベルトはこう言いました。

楕円曲線の虚数乗法論は数学のみならず、すべての科学の中の最も美しい分野である。

あのヒルベルトがここまで言うからには、いったいどんな美しい法則があるのでしょうか?わくわくしてきませんか?

このシリーズでは「虚数乗法」の美しい理論を探求していきたいと思います。


シリーズの記事は何回になるかわかりません(まだ何一つ書いていないので)。ですが、今後紹介していきたい(予定)のトピックについて、ダイジェスト的に紹介したいと思います。

虚数乗法と虚2次体

勉強を進めていくと虚数乗法は、実は虚2次体と相性がよいことがすぐにわかります。単に名前が似ているだけのことはあります。

先ほど説明しなかったこととして、自己準同型の集合は環をなす、という重要な性質があります。

 E の自己準同型を  \phi, \phi' としたとき

 (\phi + \phi')(P) := \phi(P) + \phi'(P)
 (\phi \phi')(P) := (\phi \circ \phi')(P)

のように「和」と「積」の構造を入れることができます。その意味で、自己準同型の集合  \text{End}(E) は環をなすのです。これを自己準同型環といいます。

楕円曲線が虚数乗法を持たないとき、 \text{End}(E) は整数環  \mathbb{Z} に環として同型となります。

一方で、 \mathbb{C} 上の楕円曲線  E/\mathbb{C} が虚数乗法を持つ場合においては、 \text{End}(E) が虚2次体  K の整環(integer order)と同型となります。その意味で、虚数乗法の理論は虚2次体とセットで議論されることが多いです。


議論の延長線上には、虚2次体には虚数乗法との縁の深さを物語る、以下の重要な法則が得られます。このシリーズで伝えたい目標の一つです。

定理(虚2次体のヒルベルト類体)
虚2次体  K の最大不分岐アーベル拡大  H/K は, K の整数環  \mathcal{O}_K を虚数乗法に持つ  \mathbb{C} 上の楕円曲線  E/\mathbb{C} を用いて,以下のように表せる:

 H = K(j(E)) \tag{3}

ただし, j(E) E j-不変量である.

最大不分岐アーベル拡大は、類体論の記事 でも述べましたが「ヒルベルト類体」と呼ばれるray類体です。 K 上の不分岐なアーベル拡大はすべてこの中に含まれてしまうという性質を持った拡大体です。

ヒルベルト類体は、類体論において抽象的に定義されますが、実はこれが  K j-不変量 を添加することによって構成できてしまうという、驚くべき定理です。


ちなみに、 j-不変量はtsujimotterのブログでも度々登場するお気に入り概念です。たとえば、ラマヌジャンの定数という「ほとんど整数」の記事でも現れました。
tsujimotter.hatenablog.com

この記事の中で、楕円モジュラー関数(j-不変量みたいなもの)に虚2次体  K の生成元を代入したときの特殊値が、 K の類数が 1 のときに限って整数になる、という不思議な現象について紹介しました。実はその秘密が、上の定理と「類体論の主定理」を使うことで説明できてしまいます。そのうち解説したいと思いますので、お楽しみに。

クロネッカーの青春の夢

もう一つだけ、虚数乗法論の重要な結果を紹介して終わりにします。

円分体には重要な性質があって、 \mathbb{Q} を基礎体とするすべてのアーベル拡大は円分体に含まれる、というのです。有名なクロネッカー・ウェーバーの定理です。
tsujimotter.hatenablog.com

では、基礎体を  \mathbb{Q} ではなくほかの体にしたらどうなるか、という疑問が湧いてきます。それがクロネッカーの青春の夢という予想です。

代数体のアーベル拡大は、もとの体に適当な解析函数の特殊値を添加してできる拡大体に含まれなければならない

ちなみに、円分体というのは  \exp(z) という解析関数の特殊値  \exp\left(2\pi i/N\right) \mathbb{Q} に添加した体のことですから、青春の夢は円分体の理論の拡張になっていることがわかります。


この予想において、基礎体  K を虚2次体とした場合については、高木貞治によって解決されています。彼が証明した類体論を用いて、 K 上の法  \mathfrak{c} のray類体  L/K

 L = K(j(E), h(E[\mathfrak{c}] ))\tag{4}

とかけることが示されます。 E \mathcal{O}_K に虚数乗法を持つ楕円曲線で、 h はウェーバー関数です。ここで詳しく説明はしませんが、楕円曲線の  \mathfrak{c}-分点が解析関数の特殊値でかけることから、上の青春の夢の解決になっていることがわかります。

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有理数体  \mathbb{Q} の場合は円の等分点を添加したのに対して、虚2次体  K の場合は虚数乗法を持つ楕円曲線の等分点を添加すればよかったというわけです。なんだか、虚数乗法を持つ楕円曲線が、代数曲線として円の正統進化になっているような気配を感じさせる定理ですよね。この定理によって、楕円曲線を学ぶ意義の一端を理解できたように思えるのですが、これは私の気のせいではないはずです。

類体論の最初のアプリケーションが、青春の夢の証明だったみたいです。証明はそれほど簡単ではありません。類体論だけではなく、もちろん虚数乗法の考え方を大いに使います。この証明を理解することが、本シリーズの到達目標と考えています。

おわりに

このシリーズの前提知識は 類体論 です。なんとなく察しがついた方もおられると思いますが、このシリーズを書くためだけに、以下の記事を準備したといっても過言ではありません。
tsujimotter.hatenablog.com

また楕円曲線についての基礎知識も当然必要になります。それについては、シリーズを進めながら、順を追って解説したいと思います。

いつになるかわかりませんが、途中で諦めてしまわないように頑張りたいと思います。非常に興味深いトピックだと思います。ぜひ楽しみに。

最後に、参考文献としてシルヴァーマンの「楕円曲線論概説(上巻)」をあげたいと思います。シルヴァーマンの楕円曲線に関する日本語の本は「楕円曲線論入門」「楕円曲線論概説(上巻)」「楕円曲線論概説(下巻)」の3つありますが、「虚数乗法」に関連するのは「楕円曲線論概説(上巻)」です。

ちょっとだけ補足すると、シルヴァーマンの書いたこの本のシリーズは、実はもう1冊あります。英語版では

  • Rational Points on Elliptic Curves(内容は「楕円曲線論入門」に相当)
  • The Arithmetic of Elliptic Curves
  • Advanced Topics in the Arithmetic of Elliptic Curves(内容は「楕円曲線論概説 (上)(下)」に相当)

が発売されていて、下に行くにつれて難しくなります(たぶん)。実は真ん中に相当する "The Arithmetic of Elliptic Curves"(通称、AEC)については、なんと日本語の翻訳がありません。それでいて、楕円曲線論概説には、平気で "AEC" への参照があります。そのため、しばしば AEC も見なければなりません。

そんな感じで、シルヴァーマンの書籍を参考にしつつ、虚数乗法の美しい世界に向けて歩を進めていきたいと思います。

楕円曲線論概説〈上〉

楕円曲線論概説〈上〉

  • 作者: J.H.シルヴァーマン,Joseph H. Silverman,鈴木治郎
  • 出版社/メーカー: シュプリンガーフェアラーク東京
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本
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楕円曲線論概説(上)については、2003年版(シュプリンガーフェアラーク東京)と2012年版(丸善出版)があるのですが、私の持っている2012年版の方はAmazonで取り扱いがないそうです。上のリンクは2003年版で、しかも現在は中古のものしかないようです。

The Arithmetic of Elliptic Curves (Graduate Texts in Mahtematics)

The Arithmetic of Elliptic Curves (Graduate Texts in Mahtematics)

The Arithmetic of Elliptic Curves もたびたび参照するかと思います。そのときは、AECの該当箇所を [AEC, 何章 章タイトル, p. XX] の表に表現します。

次回はいつ投稿になるかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

それでは、今日はこの辺で。