tsujimotterのノートブック

日曜数学者 tsujimotter の「趣味で数学」実践ノート

(行列の)ゼータ関数の行列式表示

最近「ゼータ関数」の話はこのブログで書いておらず,しばらくご無沙汰でした。最近学んでいる理論を調べているうちに「ゼータ熱」が再燃してきました。

啓蒙書でお話程度に聞いていて「抽象的でよくわからないなぁ」と思っていた対象が,だんだんつかめてきて面白く感じてきたのです。

今日は、そんな「ゼータ関数」に関するトピックの中から「行列式表示」に関するお話をしたいと思います。


「ゼータ関数」「行列式」とは、少々意外な取り合わせに見えますね。でも、このへんがつながってきたら面白そうに思えませんか。


行列のゼータ関数

ゼータ関数といえば「リーマン・ゼータ関数」を思い浮かべますが,実はほかにもたくさんの種類があります。今回取り扱うのは,行列のトレースによって定義された「行列のゼータ関数」です。

こんな形をしています。

 \displaystyle Z(A; T) = \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{\operatorname{Tr}\left(A^m \right)}{m}T^m \right) \tag{1}

 A n 次正方行列で, T はべき級数の変数と考えてください。すなわち, Z は変数  T の関数です。

ちょっといかめしい形をしていますが,こんなやつでもゼータ関数だと思ってください。そこから話がスタートします。

後ほどこの「行列のゼータ関数」と「リーマン・ゼータ関数」の類似点を説明しますので,楽しみにしていてください。


さて,このゼータ関数には,行列式を用いた別の表示が存在するのです。以下のように書けることが知られています。

行列のゼータ関数の行列式表示
 A n 次の正方行列とすると,以下が成り立つ:
 \displaystyle Z(A; T) = \frac{1}{{\rm det}(I_n - A T)} \tag{2}

ただし, I_n n 次の単位行列.


ずいぶんシンプルになりましたね。

しかも,ただシンプルになっただけではありません。このような形にしておくと,リーマン予想の証明が非常にやりやすくなるのです。


この辺の興味深いトピックに触れるために,式  (2) を導くことを今回の目標としましょう。このためには,行列の基本的な性質について知る必要があります。

ジョルダン標準形と相似変換

任意の行列  A は,ジョルダン標準形に変形すると,上三角行列の形にすることができます。

 \displaystyle P^{-1} A P = \begin{pmatrix} \alpha_{1} & \cdots & \ast \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & \cdots & \alpha_n \end{pmatrix}

 A P^{-1} A P の形に変換することを「相似変換」といいます*1。任意の正方行列は,適切な  P をとってきて相似変換すると,ジョルダン標準形にもっていくことができるのでした。 \alpha_1, \; \cdots, \alpha_n は行列  A の固有値で,ジョルダン標準形においてはこの固有値が対角に並んだ形となるのです。


さて,このようにジョルダン標準形に変換しておくと色々と良いことがあります。


まず,トレースや行列式の計算が簡単になります。 A の固有値  \alpha_1, \; \cdots, \alpha_n を使って簡単に計算できます。

 \begin{align} {\rm Tr}(P^{-1}AP) &= \alpha_1 + \cdots + \alpha_n \\
 {\rm det}(P^{-1}AP) &= \alpha_1 \cdots \alpha_n \end{align}

便利〜。特に行列式の計算って大変だったイメージがありますが,これなら楽チンですね。


とはいえ,相似変換してしまったら,元々の  A の情報は消えてしまいそうで,あまり意味はなさそうに思えます。

ところがどっこい。都合のよい事実があります。なんとトレースと行列式は,相似変換に対して不変なのです。

 \begin{align} {\rm Tr}(P^{-1}AP) &= {\rm Tr}(A) \\
 {\rm det}(P^{-1}AP) &= {\rm det}(A) \end{align}

これは嬉しい。相似変換の正当性が出てきました。つまり,行列のトレースや行列式を計算したいときは,いったんジョルダン標準形に相似変換してしてしまえばよいわけですね。トレースや行列式が求めやすく,都合が良いのです。

単に求めやすくなっただけではありません。トレースや行列式が,行列の固有値という「本質的な量」によって記述できるということがわかったのです。これは非常に重要なポイントです。


大学の線形代数の講義で「対角化」や「ジョルダン標準形」を習ったとき「なんでこんな計算をしているんだろう」と思ったものですが,実際に役に立つものですね。ちゃんと勉強しておけばよかった。


もう一つ。固有多項式の不変性についても触れておきたいと思います。この式もあとで使います。

 {\rm det}\left(I_n - (P^{-1}AP) T\right) = {\rm det}\left(I_n - A T\right)

 {\rm det}\left(I_n - A T\right) という式は,固有多項式と呼ばれる式です。この  A の部分を相似変換した  P^{-1} A P に変換したとしても,値は不変だと言っているのです。

この式は  I_n - A T を相似変換した  P^{-1}(I_n - A T)P を計算して  I_n - (P^{-1}AP) T が得られることと,行列式の相似変換による不変性から導けます。

ところで,固有多項式という名前は,固有値に由来しています。 T = 1/\alpha とおいてあげると,
 {\rm det}\left(I_n - A / \alpha \right) =   \frac{1}{\alpha^n}{\rm det}\left( \alpha I_n - A\right)

となるわけなのですが,この右辺の  {\rm det}\left( \alpha I_n - A\right) = 0 となるような  \alpha が固有値ですね。

ちなみに,今回は使わないですが,固有多項式に行列  A を代入すると,ケイリー・ハミルトンの定理が成り立ち,全体が零行列となるという話は有名ですね。


というわけで,ここまで紹介した定理は,まさに線形代数のオンパレードという感じでした。これがいったいどのようにゼータ関数に使えるのでしょう。

行列式表示の導出

それでは,以上の定理を使って冒頭の行列式表示を求めることにしましょう。

以下の式を変形していきます。

 \displaystyle Z(A; T) = \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{\operatorname{Tr}\left(A^m \right)}{m}T^m \right) \tag{1}


ここで, {\rm Tr}(A^m) を計算する必要があります。これには少し工夫が必要です。

まず,ジョルダン標準形に相似変形した  P^{-1} A P m 乗すると

 \require{cancel} \begin{align} (P^{-1} A P)^m &= P^{-1} A \cancel{P\cdot P^{-1}} A \cancel{P\cdot} \cdots \cancel{\cdot P^{-1}} A \cancel{P \cdot P^{-1}} A P \\ &= P^{-1}A^m P \end{align}

が得られます。これは大学受験の数学でよく出てくるようなタイプの計算ですね。懐かしい。

次に,相似変換に対するトレースの不変性を使って

 {\rm Tr}(A^m) = {\rm Tr}(P^{-1} A^m P)

とします。これによって, A^m のトレースが

 {\rm Tr}(A^m) = {\rm Tr}( (P^{-1} A P)^m )

と計算できることがわかります。右辺はジョルダン標準形の  m 乗ですから

 \displaystyle (P^{-1} A P)^m = \begin{pmatrix} \alpha_{1}^m & \cdots & \ast \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & \cdots & \alpha_n^m \end{pmatrix}

と簡単にかけます。さらにトレースは対角の和になりますから,以下の式が得られます。

跡公式 (trace formula)
 {\rm Tr}(A^m) = \alpha_1^m + \cdots + \alpha_n^m \tag{3}

すごく簡単な式になりましたね!


これを式  (1) に代入して変形していきましょう。

 \displaystyle \begin{align} Z(A; T) &= \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ \alpha_1^m + \cdots + \alpha_n^m }{m}T^m \right) \\
&= \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ \alpha_1^m }{m}T^m \right)\cdots \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ \alpha_n^m }{m}T^m \right) \end{align}

ここで,

 \displaystyle \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ \alpha_k^m }{m}T^m \right)

という形のべき級数を計算することになります。ここで, X = \alpha T とおくと

 \displaystyle \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ X^m }{m} \right) = \frac{1}{1-X}  \tag{4}

という形式的なべき級数の変換が得られます。収束の条件は  |X| < 1 です。

 (4) の両辺の対数をとると
 \displaystyle \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ X^m }{m} = -\log(1-X)

となります。これはまさに対数関数のテイラー展開そのものですね。

これを適用すると,

 \displaystyle \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{ \alpha_k^m }{m}T^m \right) = \frac{1}{1-\alpha_k T}

のように変形できます。まとめると,

 \displaystyle \begin{align} Z(A; T) &= \left(\frac{1}{1-\alpha_1 T}\right) \cdots  \left(\frac{1}{1-\alpha_n T}\right) \\ 
&= \frac{1}{(1-\alpha_1 T) \cdots (1-\alpha_n T)} \tag{5}\end{align}

という式が得られました。この式は非常に重要なので,式番号をつけておきます。


一方,行列式の表示の方を変形して,等号が成り立つことを示しましょう。

 \displaystyle {\rm det}(I_n - A T)

の固有多項式を変形しましょう。例によって  A をジョルダン標準形に相似変換すると,

 \displaystyle {\rm det}(I_n - A T) = {\rm det}(I_n - (P^{-1}AP) T)

となりますが,ジョルダン標準形は対角成分に固有値を持つ上三角行列なので

 \displaystyle  {\rm det}(I_n - (P^{-1}AP) T) = \begin{pmatrix} 1-\alpha_{1}T & \cdots & \ast \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & \cdots & 1-\alpha_n T \end{pmatrix}

と書けるはずです。上三角行列の行列式は,簡単に計算できて,

 \displaystyle  \begin{pmatrix} 1-\alpha_{1}T & \cdots & \ast \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & \cdots & 1-\alpha_n T \end{pmatrix} = (1-\alpha_1 T) \cdots (1-\alpha_n T)

と計算できます。結局

 \displaystyle {\rm det}(I_n - A T) = (1-\alpha_1 T) \cdots (1-\alpha_n T) \tag{6}

がわかりました。

この式  (6) と式  (5) を見比べると,

 \displaystyle Z(A; T) = \frac{1}{(1-\alpha_1 T) \cdots (1-\alpha_n T)} = \frac{1}{ {\rm det}(I_n - A T) }

が得られて,式  (2) の行列式表示が導けました。

リーマン予想

実は,上の行列式にはもう一つ意味があります。

 \displaystyle Z(A; T) = \frac{1}{(1-\alpha_1 T) \cdots (1-\alpha_n T)}

のように書いていましたが,これによって  Z(A; T) の特異点,すなわち極の存在がわかります。すなわち, T

 1-\alpha_k T = 0

となる点において,分母が  0 になり, Z(A; T) は発散することがわかりますね。計算すると,

 T = 1/\alpha_k

となります。つまり,ゼータ関数  Z(A; T) の極の点が,行列の固有値でかけるということです。これは,このゼータ関数の性質がよいことを示しています。


リーマン予想とは「リーマン・ゼータ関数の特異点である「零点」の実部が  1/2 の実軸上に乗っているはずだ」という予想でした。

リーマン・ゼータ関数の「リーマン予想」
 \hat{\zeta}(s) を完備化されたリーマン・ゼータ関数とすると,以下が成り立つ:
 \displaystyle \hat{\zeta}(s) = 0 \;\; \Longrightarrow \;\;{\rm Re}(s) = \frac{1}{2}

この予想は,一般的なゼータ関数の零点や極が統制された位置にあるという予想に一般化することができます。そして,先ほどわかったように,ゼータ関数  Z(A; T) の極は,行列の固有値でかけるという非常によい性質を持っています。


以上のことは,行列のゼータ関数をもう少しだけ変形していくで,より明瞭になります。


 T = e^{-s} とおきましょう。 Z(A; T) に代入していきます。

 \displaystyle Z(A; e^{-s}) = \frac{1}{(1-\alpha_1 e^{-s}) \cdots (1-\alpha_n e^{-s})}

より,極の位置は

 1 - \alpha_k e^{-s} = 0

となることから,

 e^{s} = \alpha_k

が得られます。絶対値をとると

 e^{{\rm Re}(s)} = |\alpha_k|

となりますね。

ここで, A がユニタリ行列(固有値の絶対値が  |\alpha_k| = 1 の行列)と仮定すると

 {\rm Re}(s) = 0

が成り立ちます。

行列のゼータ関数の「リーマン予想」
 A をユニタリ行列とすると,以下が成り立つ:
 Z(A; e^{-s}) = \infty \;\; \Longrightarrow \;\;{\rm Re}(s) = 0

極の実部が  0 になるということで,ずいぶんとリーマン・ゼータ関数の状況に近づきましたね。


駄目押しで,こんな変形をしてみましょう。行列  A 1 次元の行列とします。また,素数  p に対して定まる(乗法的な)数列を用いて  A = a_p とし, T = p^{-s} としましょう。すると,式  (1)

 \displaystyle Z(a_p; p^{-s}) = \exp\left( \sum_{m=1}^{\infty} \frac{(a_p p^{-s})^m}{m} \right)

となります。 X = a_p p^{-s} として,式  (4) の変形を使うと

 \displaystyle Z(a_p; p^{-s}) =\frac{1}{1-a_p p^{-s}}

が得られます。これはまさに, a_p に付随するディリクレ  L 関数のオイラー積

 \displaystyle L(a_p; s) = \prod_{p} \frac{1}{1-a_p p^{-s}} = \prod_{p} Z(a_p; p^{-s})

 p に関するオイラー因子ですね。

なるほど,こんな風に対応していたのか。これなら「ゼータ」と言っても文句はないでしょう。

まとめ

今日伝えたいことは大きく2つです。

1つは,行列の形で書くことができるゼータ関数があるということ。もう1つは,ゼータ関数を「行列式表示」に持っていくことができれば,零点や極がわかりやすくなり,リーマン予想が非常に扱いやすくなるということです。

実際,このような形で表せる式はしばしば登場して,線形代数の力を使って興味深い性質が導けるのです。今回の背景を知らないと,行列式や固有値が突然出てきて面喰らうわけですが,慣れればどうってことはありません。

例をあげると「合同ゼータ関数」と呼ばれるゼータ関数があります。合同ゼータ関数は「スキーム」という代数的な空間の上で定義される「フロベニウス作用素」の「トレース」を係数に持つゼータ関数ですが,これにも今回の話を応用することができます。

似たような形式で定義することができ,これによって行列式表示を得ることができるのです。このことから,合同ゼータ関数のリーマン予想は幾分証明が簡単になるのだそうです。実際,合同ゼータ関数のリーマン予想は(いわゆる「ヴェイユ予想」と呼ばれるものですが),ドリーニュという数学者によって 1974 年に証明されました。

そのうちこの話もできればいいなと思っています。

それでは,今日はこの辺で。

参考文献

本記事は,黒川先生のこちらの本の第2章「行列の整数ゼータ関数」を参考にしています。黒川先生の本はほとんど持っているのですが,これまでの本は「お話寄り」だったり「専門書寄り」だったりしたわけですが,今回の本はその間を見事につなぐ本という印象でした。お話として聞いていたあの話は,実はこういうことだったのかと。大変面白い本なので,よかったら読んでみてください。

リーマンと数論 (リーマンの生きる数学)

リーマンと数論 (リーマンの生きる数学)

ちょっと自慢ですが,先日書泉グランデさんで開催された講演会に参加して,著者の黒川先生のサインをいただいてきました。

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黒川先生の書く  \zeta の文字が素敵だったので,おねだりして書いていただきました。笑

今回は,行列や線形代数の定理のオンパレードだったわけですが,黒川先生は実際「線形代数学」の講義を持っていて,今回の内容を応用例として講義で話されているそうです。

楽しそう!羨ましい!

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*1:どうでもいいことですが,tsujimotter は  P^{-1}AP が "PPAP" に見えて仕方ありません。