この記事は 日曜数学 Advent Calendar 2016 の 1日目の記事です。
12月ですね。アドベントカレンダーの季節がやってきました。
毎年、12月になると、さまざまなテーマで持ち回りでブログ記事を書き合うお祭りがはじまります。私は、2年連続で「数学」に関するアドベントカレンダーを企画しています。
明日話したくなる数学豆知識 Advent Calendar 2014 - Adventar
日曜数学 Advent Calendar 2015 - Adventar
今年も「日曜数学」というテーマでアドベントカレンダーを立てることにしました。
www.adventar.org
満員御礼、すべての日程に投稿してくれる方が集まりました!ありがとうございます!!
というわけで、25日間、数学漬けの毎日がはじまります!超楽しみですね!!!
「日曜数学って何?」と思った方は以前書いたこちらの記事をご覧ください。
tsujimotter.hatenablog.com
ちょっと脱線
Adventar というサイトでは、カレンダーにIDという正の整数が振られていますが、このカレンダーの ID: 1777 はなんと 素数 です!縁起がいいですね!
しかも、非正則素数 なんです!数ある素数の中でも非正則素数はレアです!(2000以下にたった8つしかない 2000以下には、素数が303個ありますが、そのうち121個が非正則素数です。※誤りがあったので訂正しました)
非正則素数の魅力については以下のスライドで扱っていますので、興味を持った方はぜひ。
脱線終わり!
初日のテーマは「ガロア」
前置きはこの辺にして、本題です!
私には大好きな数学者が3人います!その中でもとりわけ愛着がある、お気に入りの数学者が
「エヴァリスト・ガロア」 です!
ガロアとの出会いのきっかけは 「五次方程式」 でした。高校のときに「五次方程式の解の公式が存在しないこと」が気になったというエピソードを思い出し、代数の勉強をはじめたところ、しばらくして「ガロア理論」に出会ったのでした。ガロア理論について勉強するにつれて、ガロアの劇的な人生*1に触れることになり、ガロア自身にも次第に興味を惹かれるようになりました。最近では、ガロア理論の整数論への深い応用についても、少しずつですが理解できるようになってきました。ガロアの理論は、現代数学においてなくてはならないものだということを知り、一層関心が深まりました。
そんな折、ちょっとした用事があって、パリ経由でヨーロッパのとある国にいくことになりました。帰りの便で、たまたま6時間ほど乗り換え時間があったのです。
せっかくなのでパリ市内まで足を伸ばして、パリ市街を歩きながらガロアに思いを馳せたいなと思いました。パリに寄ることをツイートしてみると、加藤文元先生から思わぬリプライが。
ガロアが決闘前夜まで住んでいた場所は
— Fumiharu Kato 加藤文元 (@FumiharuKato) 2016年10月12日
16 rue des Bernardins
というところです。ノートルダム大聖堂の近く(5区側の対岸)ですので、時間があったら行って見たらいかが?最近、プレートも設置されたらしいのですが、私はまだ見ていません。
加藤先生は現役の数学者で「ガロア」という伝記の著者でもあるお方です。その方から、ガロアが決闘前夜まで住んでいた家の場所を教えていただいたのです。
決闘前夜まで住んでいた場所といえば、あの有名な遺言に
と書いていた場所でもあるわけです。しかも、わりといけそうなところにあるじゃあないですか!!
ガロアが住んでいた家がそのまま現存しているか明らかではありませんが、通りの名前や番地自体はそのまま残っているとのこと。しかも、ガロアの住んでいた番地に相当する建物には、ガロアの名前が記載された記念プレートがついているというのです!
これは行ってみたい!!!
とはいえ、旅行の準備しているわけでもありませんでした。一瞬ためらったのですが、数学仲間であるせきゅーんさんが最後の一押しをしてくれました。
行かないと後悔する。そう確信しました。
というわけで急遽(ほんとに急遽)、ガロアの決闘前夜の家をめぐる、6時間の (本当に「時間がない」) 聖地巡礼弾丸ツアー がスタートしたのでした。
パリのことについて少々
パリの中心にはセーヌ川と呼ばれる有名な川が流れており、セーヌ川を境に大きく二分されます。セーヌ川の北側を右岸、南側を左岸と呼ぶそうです。
セーヌ川の中央には、シテ島 と呼ばれる島があります。シテ島は "パリの発祥の地" ともされる場所ですが、今回の旅においては重要な 目印ポイント となっています。ぜひ名前を覚えてください。
さらに細かくパリを区分けすることができて、大まかに場所を特定するのに役に立ちます。1区から20区まで分かれており、その区の並び方が面白いのです。ルーブル美術館のあるパリ1区を中心に、らせん状 にナンバリングされています。
ガロアが決闘の直前に住んでいた家は、パリ左岸(つまりセーヌ川の南側)、パリ5区にある Bernardins(ベルナルダン)通り というところにあります。パリではすべての通りに名前がついています。住所は
16 rue des Bernardins
です。
"16" というのはベルナルダン通りにある家につけられた番地のこと。「ベルナルダン通りの16番地」ということになります。
「ベルナルダン通りってどこやねん?」と思うかもしれません。
Google Maps で調べるとこんなところにあります(「フランス パリ ベルナルダン通り 16」あるいは「16 rue des Bernardins」で検索)。
近くにはセーヌ川が流れ、シテ島にあるノートルダム大聖堂のすぐそばです。
それにしても、ガロアはこんなところに住んでいたのですね。「結構いいところに住んでいるな」と思いません?
また、パリ市内にはメトロがたくさん通っていて、これだけでかなりの場所にいくことができます。今回使うメトロはメトロ1番で、黄色が目印です。
メトロや鉄道に乗る際は、パリ・ヴィジットやモビリスという一日乗車券が便利です。1日の最初に買っておくと、散策がずいぶんと楽になります。
シャルル・ド・ゴール空港(CDG)からパリ市街までは、高速郊外鉄道 RER(エール・ウー・エール)が便利です。パリ市街までは、RER(片道25分)・バス(片道60分以上)・タクシー(片道30分から50分)の3通りの方法があります。行き先にもよりますが、RER を選択する方は多いと思われます。
RER の路線は何種類かあるのですが、RER B という路線に乗れば、シャルル・ド・ゴールから北駅(Gare du Node)そしてサン=ミッシェル=ノートルダム駅(St-Michel Notre-Dame)まで続いています。サン=ミッシェル=ノートルダム駅が目的地までの最寄駅かと思います。
必要な情報はこの辺でしょうか。
ロード・トゥ・ザ・ベルナルダン
というわけで、空港に着いた我々一行は、RER B を目指して進むことにしました。これがなかなか遠かった。シャルル・ド・ゴール空港はとても大きな空港です。エールフランスの便の降り口である2Eターミナルからスタートし、10 分以上もかかりました。下の写真にあるような RER の文字が書かれた看板を目印に歩き続けて、途中2回くらい見失いながら、なんとか RER の駅に到着します。
"(RER) Paris par train" のマークが目印
さて、RER B の発着時間はいつかなと調べていると、電光掲示板を見つけました!
「北駅(Gare du Node)」と「サン=ミッシェル=ノートルダム駅(St-Michel Notre-Dame)」の文字が見えますので、この路線で間違いないでしょう。
少し待っていると、
"Bourg la Reine(ブール・ラ・レーヌ)" の文字が!
みなさん知っていますか!!??
「ブール・ラ・レーヌ」といえばガロアの 生まれ故郷 ですよ!!!この電車に乗っていけば、ガロアの生まれ故郷に行けるんですよ!!!
いかん、テンションが上がってしまった。
しかし、ここで異変に気づきます。
電光掲示板をみてみると、何かがおかしいのです。そう、発車時刻が載っていません。
よーく見てみると、明らかに何かが起きた感じの赤い画面と、警告っぽい文章が。
フランス語読めねぇ
状況を察するに、どうやら北駅方面の RER がストップしているとのこと。13:30 まで再開の見込みはないらしい。
今は 13:00 ちょうど。あと30分待てば再開するらしい。ただでさえ6時間しかないのに、この待ち時間は痛い・・・。
それでも再開を願って 15 分くらい待っていると、再開見込みが 15:00 に延長していました。「これはダメだ」と諦めて、第二の選択肢「バス」を選ぶことに。
パリ市街へのバスは「エールフランスバス」と「ロワシーバス」の2つあります。いろいろ検討した結果、エールフランスバスを選びました。エールフランスのバスの乗り口(とチケット販売口)は、ターミナル2Eとターミナル2Fの連絡通路にあります。スタート地点に戻ってしまったじゃないか。 チケットは、往復券を30ユーロで購入。
エールフランスバスの「Ligne2(ライン2)」という路線に乗り、凱旋門のある「Etoile/Champs-Elysées(エトワール/シャンゼリゼ)」で降車することにしました。
豆知識ですが、日本語っぽく「シャンゼリゼ」と発音してもフランス人には伝わりません。バスの運転手に「えとわーる・しゃんぜりぜ」と発しても、全然伝わりませんでした。本場の "Champs-Elysées" を何度か耳にしたのですが、私には「シャリズリゼ」としか聞こえませんでした。
30分程度かかってエトワール/シャンゼリゼに到着(意外と早かった)。凱旋門を一瞬だけチラ見して、急ぎ足でモビリス(メトロ・RER の1日乗車券、7ユーロ)を購入。早速メトロに乗ります。
メトロ1番の "Charles de Gaulle Étoile" 駅*2から "Palais Royal Musee Du Louvre" 駅へ。2つ先の Chatelet(シャトレ)" の方が目的地に近かったのですが、ルーブル美術館のガラスのピラミッドが見たかったので、この駅で降りました。
メトロの駅の表示は看板が大きくてとても親切です。車内のアナウンスが聞き取れなくても、駅の表示をしっかり見ておけば降り過ごすことはないでしょう。
さて、"Palais Royal Musee Du Louvre" で降りて、ルーブル美術館をチラ見。これがガラスのピラミッドです。
よし、みましたね。満足。
というわけで、目的地に向かいます。ここから歩いて 20 分程度で目的地に到着します。
ルーブル美術館の横の通りをセーヌ川沿いに東へ進んでいくと、セーヌ川の中に シテ島 が見えるはずです。このあたりで橋を渡って、セーヌ川左岸へと移ります。
橋を渡るとフランス学士院が見えます。裏には造幣局もあるようです。左岸の川沿いをさらに進んでいきます。
左手のシテ島にあるノートルダム大聖堂を横目に、さらに進んでいきます。川沿いには絵を売っている人がいたり、舟の上で住んでいる人が見えたりします。
ノートルダムのあたりは、観光地だけあって賑やかですね。こんなところをガロアは通っていたのかな、などと考えながら歩きます。
ノートルダムを過ぎると、人通りも少なくなり、やや落ち着いた雰囲気になりました。
ベルナルダン通りに近づいていくにつれ、緊張感が増してきました。ガロアまですぐそこです。心臓がばくばくしてきました。
シテ島の東端の橋に到達すると、その橋から南に向かって続く通りが目的地であるベルナルダン通りです。
私が行ったときは、なぜか通行止めになっていたシテ島東端の橋。振り返るとベルナルダン通りが見えます。
やっと到着ですね!!
(この時点で 15 時)
ベルナルダン通り到着!
さて、目的地にたどり着いたと思われるわけですが、ここで本当にベルナルダン通りなのかどうか確認する必要があります。
落ち着いて、通りの入り口の建物をよく見てみると、
とあります。たしかに、"RUE DES BERNARDINS" の文字がありますね!これで間違いありません。
ベルナルダン通りであることを確信したとたん、ガロアがいそうな雰囲気が立ち込めてきました。嫌が応にもテンションが上がります。
それでは "16 rue des Bernardins" を探していきましょう。
注意深く 16 番地を探していくと・・・。
ついに
ついに!!!
見つけました!!!!!
それではいきましょう!これが「ベルナルダン通り16番地」です!!!
2階部分に「16」の文字が見えていますね。間違いありません。
「この建物のどこにガロアはいたのかな」と思いながら、壁面を眺めていると、茶色いプレートが見つかります。これこそが、フランス数学会が送ったとされる、"ÉVARISTE GALOIS" の記念プレートです!
近づいて見ましょう!
確かに書いてありますね!プレートには、
MATHÉMATICIEN ET RÉPUBLICAIN
L'UN DES FONDATEURS
DE L'ALGÉBRE MODERNE
A VÉCU DANS CET IMMEUBLE
EN 1831
と書かれています。訳は
数学者で共和主義者
現代代数学の創始者の一人が
1831 年にこの建物に住んでいました
といったところでしょうか。
「たしかに、ガロアはここにいた」ということをプレートが証明してくれているのですね。嬉しいです。
テンションが上がるのを抑えきれず、記念写真をぱしゃり。
ちなみに、この写真は10枚ほど撮った中の1枚です。しかも、これらの写真をとってくれたのは私の上司の先生です。小雨が降る中、ずっと私の趣味に付き合ってくださいました。本当に感謝です。
意外なことに、ベルナルダン通りで写真を撮影するのは結構難しいです。非常に狭い通りにもかかわらず、結構車通りが激しいのです。車が通る合間を縫ってタイミング良くシャッターを押す必要があります。
大通りが赤信号になると、こんな風に車でいっぱいになります。
写真左手のおじさんは、私たちのことを奇異な目で見ながら通り過ぎて行きました。こんな狭い通りで長い時間かけて記念撮影をする東洋人は、あまり見かけないのでしょうか。
20 分くらいかけて、記念プレートを眺めたり、建物を舐めるように観察したり、写真撮影をしたり、祈りを捧げたり、物思いにふけったりしたのち、後ろ髪引かれる思いでベルナルダン通りをあとにしました。
観光と帰り道
もはや目的は達成したわけですが、せっかくパリにきたので、ついでに観光してきました。
ルーブル美術館。
パリ市庁舎。
パリ市庁舎横の階段から地下に入って "Hôtel de Ville(オテル・ドゥ・ヴィル)" 駅 からメトロ1番でエトワール方面へ。"George V(ジョルジュ・サンク)" 駅 で降りてシャンゼリゼ通りへ。
最後に凱旋門をぱしゃり。
帰りも、エールフランスバスに乗って空港まで帰りました。エトワール/シャンゼリゼ のエールフランスのバスの停留所は本当にわかりにくいので、安全のためにちょっと早めに来た方が良いかもしれません。私たちは、なかなか停留所が見つからず、凱旋門の周りを1周半ぐらいしました。
最終的には、エールフランスの別の路線のバスが止まっていたので、その運転手さんに聞くことに。とても丁寧に教えてくれました。たぶん、今回出会ったフランス人の中で一番親切な人でした。
バス停はこんな感じ。普通のバスの停留所がごちゃまぜになっていて、とてもわかりづらい・・・。
バスのチケットは車内でも購入できるようですが、空港で往復チケットを買ってしまったほうが楽です。
夕方五時過ぎのパリ市内は渋滞していて、帰りは空港まで一時間以上かかりました。夕方のパリ市内の車の密度はひどい有様で、事故が起きないのが不思議なくらいです。私はパリには絶対に住めないなと確信しました。
というわけで、ひやひやしながらも、なんとか出発1時間前に搭乗口に到着。無事、弾丸ツアーを完遂しました。
散策ルートはこんな感じでした。参考までに。
もっと時間のある方へ
時間に余裕のある方は、ガロアの生まれ故郷「ブール・ラ・レーヌ」にいくとよいでしょう。
ガロアの生家やお墓など、ガロアの痕跡をたくさん見つけることができます。以下のページによると、各所にプレートが飾ってあるとのこと。
www.white-rabbit.jp
本文で述べた通り、RER B を使えば、空港から一本で行けるようです(時間は不明ですが思ったほど遠くはない印象です)。
サンテティエンヌ=デュ=モン教会にも訪れたいところです。サンテティエンヌ=デュ=モン教会は、なんと「ガロアの父」の葬儀を行った教会なのだそうです。ベルナルダン通りをしばらく進んで少し行くとあります。あとで加藤先生に教えてもらいました。
ガロアの父は、ガロアの死の3年前に自殺しています。この一件はガロアの心に深い傷を与え、後の人生に大きな影響を与えたことで知られています。葬儀には、サンテティエンヌ=デュ=モン教会から故郷のブール・ラ・レーヌ村まで10kmもの葬列ができたという話は、加藤先生の著書にも載っていますね。
次の機会があれば、ぜひ訪れたいと思っています。
ガロア生誕200周年・記念プレート秘話
今回見に行った記念プレートは、ガロアの生誕200周年である2011年に、フランス数学会が設置を計画したものだそうです。しかしながら、その計画は2011年には実行されなかったとのこと。
あとから加藤先生に聞いたのですが、プレートを設置しようとした2011年のときに、住民から反対があったようなのです。たしかに、プレートを設置してしまったら、私みたいな変な人が集まってきてしまいますもんね。
生誕200周年から5年後の 2016 年 5 月 31 日(ガロアが亡くなった日ですね!)、住民が退去した隙に(かどうかわかりませんが)設置してしまったようです。twitter にそのときのようすが上がっていました。
Au nom de #Paris @MCLemardeley rend un vibrant hommage au mathématicien Evariste Galois au 16 rue des Bernardins pic.twitter.com/egeg7GmIg9
— Mickaël Vérité (@MickaelVerite) 2016年5月31日
おわりに
本当に楽しかった!!!
6時間と短い旅で、いろいろトラブルもあり、一時はどうなることかと思いましたが、無事到着できて本当に良かった。
ガロアに直接会うことはできませんでしたが、それでも街並みや風景から、ガロアという人の存在の一端を感じとることができたと思っています。
ベルナルダン周辺は、ノートルダム大聖堂の近くということもあり、意外にも人通りが多い場所でした。セーヌ川もすぐそばにあり、落ち着いた情緒的な雰囲気で、想像していた光景と随分違うなぁという印象でした。ガロアは、どんなことを想像しながらこの街を歩いていたのでしょう。
数学史や伝記が大好きな私としては、これまでは読んでもただの記号列であった「ベルナルダン通り」などの地名が、意味のある情報を持った文字列として感じとれるようになったのは大きいと思います。ガロアの伝記を読む際は、今回の旅で見た景色を思い浮かべつつ読み進めることができるのでしょう。これこそが実際に、その場所に行ってみる価値の1つじゃないかなと思うのです。
「ガロアに会いに行けること」を教えてくれた加藤先生、この旅に行くことを後押ししてくださったせきゅーんさん、そして私のわがままに1日中付き合ってくださった先生に感謝です。
実はこの記事、深夜の 5:45 に書いているわけなのですが、時間に追われつつも、なんとか1日目の記事を書き終えることができました。
まさに "je n'ai pas le temps" ですね。
というわけで、今日はこの辺で。
明日・明後日の日曜数学アドベントカレンダーは、日曜数学会の主催者であるキグロさんによる記事が予定されています!お楽しみに!!
画像について
今回使った画像は、「ベルナルダン通り16番の写真」および「ガロアの記念プレートの写真」については フリー素材 の画像としたいと思います(私の全身が写っている写真はフリーではありません)。数学プレゼンやブログ記事等でガロアの紹介をする際にぜひお使いください。
何か著作権等で気になることがある際は、 tsujimotter [at] gmail.com までご一報ください([at] を あっとまーくに置き換えてください)。
おまけ:聖地巡礼お役立ちグッズ
「地球の歩き方 パリ&近郊の町」
命綱でした。ネット環境がなかったので、ほぼすべての情報はこれが頼りでした。日本での予習なしで観光できたのはこの本のおかげです。
加藤文元 著「ガロア」中公新書
数学者である加藤文元先生が、ガロアその人について描いた伝記作品です。「社会的背景という横軸と、数学史的背景という縦軸の交点に、私の〈ガロア君〉を置いてみること」を目標とした本で、丁寧に調べ上げられた史実をもとに、ガロアの人生が優しい語り口で解説されています。
先生自身は、執筆中何度もパリに足を運ばれたそうです。「ベルナルダン通り16番地」の件は、あとがきにも書いてあります。
個人的には、ガロアの論文の立ち位置や数学的な価値について述べられた第6章「ガロアの黙示録」が好きで、何度も読み返しました。
ぜひ買いましょう。そしてじっくり読み込んでから行くとよいでしょう。
- 作者:加藤 文元
- 発売日: 2010/12/01
- メディア: 単行本