tsujimotterのノートブック

日曜数学者 tsujimotter の「趣味で数学」実践ノート

おすすめ数学小説:ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」

この記事は 明日話したくなる数学豆知識アドベントカレンダー の 13 日目の記事です。( 12 日目:数列の和の算数


寒くなってきましたね。休日であっても外に出るのが億劫になりそうです。そんなときは、家の中で暖かくして読書などいかがですか。

数学のよい専門書を紹介しても良いのですが、せっかくなので今回は数学にまつわる小説をご紹介します。


数学で小説といえば、日本では「博士の愛した数式」がベストセラーになりました。映画にもなっていますから、読んだことはなくても名前を知っている方も多いかもしれません。(かくいう私も3ページしか読んでいません。笑)


今日ご紹介したいのは、日本でベストセラーになった「博士の愛した数式」ではなく、ギリシャで生まれた次の数学小説です。


レビューには、次のようにありました。

本で小川洋子著の「博士の愛した数式」がベストセラーになった時、某数学掲示板で
「『ペトロス叔父とゴールドバッハ予想』には遠く及ばない」と評されたことがあった。

Amazon「ペトロス叔父とゴールドバッハ予想」のレビュー欄より一部抜粋

tsujimotterは読書無精なので、めったに文学作品は読まないのですが、このコメントを見て「これなら面白いかも!」と読む気になりました。また著者のアポストロス・ドキアディスは、パリの高等学院で数学を学んだ、言わば「数学者」でした。このことも私には魅力に思えました。

こんなわけで、期待に胸を膨らませて購入したわけなのです。結果から言うと、期待を裏切らない良い作品でした。とても面白かったです!!


この記事では、ネタバレにならない程度にあらすじを紹介しながら、その魅力を伝えたいと思います。

登場人物とあらすじ

主人公:ペトロス
語り手:「わたし」

ペトロスは語り手である「わたし」の伯父です。伯父は「わたし」の家から離れたところに住んでおり、親戚付き合いの中でたまに会う程度だったのです。

「わたし」は、ひょんなことから、伯父が実は高名な数学者であったことを知ります。伯父は長年「ゴールドバッハ予想」という未解決の難問に取り組んでいたが、最後には諦めてしまった。「わたし」は次第に、伯父の職業である「数学者」や伯父が解けなかったという「ゴールドバッハ予想」という難問に心惹かれていき、大学で数学を学ぶ事を心に決めます。

しかし、数学者であるはずの伯父からは、なぜか反対をされてしまいます。そしてこんな条件を提示されます。

「そうだ。きみにひとつ問題を出す。家に帰ってそれを解いてみたまえ。それに成功するか失敗するかで、数学に関しての将来性をきわめて正確に判断できるのだ」

夏休みが始まってから、再び学校が始まるまでの3ヶ月以内に、この問題を解けなければ「不適格」として、数学者を目指す事を諦めるように告げます。

その問題は、ちょうどこんな問題でした。

「証明してもらいたいのは、二より大きいすべての偶数は、二つの素数の和で表わせることだ」

これが伯父の数学者としてのキャリアに興味を持った、語り手である「わたし」に対して、伯父が出した「夏休みの課題」でした。

 4 = 2 + 2
 6 = 3 + 3
 8 = 3 + 5
 10 = 3 + 7
 12 = 5 + 7

今、例に挙げたように、いくつかの偶数で試してみると、確かに2つの素数で表すことが出来る。問題は、これがすべての偶数で成り立つかどうかだ。

「わたし」は夏休みの間、ずっとこの問題に取り組んできました。一見、簡単そうに見える問題でしたが、なかなか思うように糸口がつかめません。学校で習うような数学の問題とは違い、まったくどこから手をつけてよいかわからなかったのです。

結局、「わたし」はこの問題を解く事が出来ませんでした。約束通り、大学では数学の道を諦めて、家業を継ぐための経営の勉強を始めることになります。
ところが、大学でたまたまあった数学の天才との会話の中で、「わたし」は驚愕の事実を知る事になります。


物語は三部構成になっていて、ここまでが第一部。
数学者になりたいと言った「最愛の甥」に、数学の問題を突きつけた伯父の真意はなんだったのか。そして、この小説のタイトルにもなっている「ゴールドバッハの予想」とは、いったいどういった問題なのか。物語の核心が、いよいよ第二部以降で明らかになります。

この小説の魅力

tsujimotter がこの小説を読んでみて魅力的だと思った部分を、思いつくままに紹介したいと思います。


まず、この話の一番の魅力は、何といってもペトロスと数学者とのやりとりじゃないでしょうか。
第二部では、ペトロスがもっとも数学に打ち込んでいた時期、並みいる数学者との切磋琢磨の日々が彼の回想によって語られます。そこで繰り広げられる、数学者たちの会話は、作り話とは思えないほどリアルです。

特に、この話に登場する数学者は、基本的にすべて実在した人物です。ペトロスの師匠のコンスタンティン・カラテオドリ。素数についての共同研究を行ったハーディー、リトルウッド、ラマヌジャン。彼らのように、ちょうど当時に第一線を走っていた数学者たちが登場します。彼らに対するキャラ設定が絶妙です。ハーディーはやや神経質で世間に疎く、リトルウッドは現実的な感覚をもった秀才で、ラマヌジャンは天賦の才能を持っているがちょっと抜けた好青年。数学者の伝記で聞いたときに受けた印象と、見事にマッチしていて気持ちがいい。

ペトロスがラマヌジャンに「ゴールドバッハ予想は真か」と尋ねたときの、ラマヌジャンの受け答えも、以下のように実に「らしい」のです。

「直感だが、この予想は非常に大きな数については成り立たないような気がする」

これらはまるで、実際のエピソードなのではないかと錯覚するほど。おかげで、彼らに対する私のイメージは、この小説を通して確固たるものになってしまいました。

クルト・ゲーデルやアラン・チューリングも登場します。単なるゲスト出演ではなく、彼らも物語のキーパーソンです。


通常、こうした数学を使ったフィクションは、制作者の数学に対する無理解や、話を進めるための無理矢理な理屈付けのせいで、数学を勉強した人にとって納得いかないものになりがちです。(そして、たいてい、素数を使った暗号の話が出てきます。笑)

この小説は、著者が数学者ということもあって、その辺の正確性やディテールはバッチリです。

ジャック・アダマールによって証明された素数定理。これを皮切りに、それまで初等的な方法で試みられていた数論へのアプローチが、解析的な手法に置き換わる。その中心的な役割を演じるのは、リーマン予想の証明に燃えたハーディーやリトルウッド。その過程で、彼らによって証明された分割数の理論などなど。

これらは数論好きがニヤニヤできそうな話題ですが、単なる数式や史実の紹介で終わるのではなく、物語を進める上で重要な小道具となります。数学が得意でない人も、物語が進むとともにだんだんと数学世界の空気感がわかってきて、面白く感じるのではないかと思います(たとえ定理の内容が正確につかめなかったとしても)。


そしてもう1つ魅力な点は、話の山場がいくつもあって飽きさせないことです。

第一部は私と伯父の出会い、そして冒頭の問題の出題。第二部は伯父の回想と、超一流の数学者たちとの華やかな共同研究。徐々に明らかになっていく伯父の過去と秘密。

ここまでで十分過ぎるぐらい面白いのですが、実は一番見てもらいたいのは第三部だったりします。
甥に対して「ゴールドバッハの予想」を諦めてしまったことを白状し、生気を失いかけたかに見えたペトロスですが。ある事をきっかけに数学の熱を取り戻します。そして、最愛の甥とともに、ゴールドバッハ予想の証明についての10日間の集中講義が始まるのです。

このシーンは、これまでのゆったりした回想の流れを一変させ、問題に立ち向かう数学者ペトロスの鬼気迫る様子が描かれています。そして、これまで「わたし」が知らなかった、ペトロスという人の新たな一面が明らかになります。


ペトロスという「人間臭い」人柄も、物語に絶妙なスパイスを与えています。彼の数学への動機は、まさに「承認欲求」です。人に認めてもらいたい。その欲求が強すぎるあまりに、結局はゴールドバッハの予想への証明を断念してしまった。この辺りは、数学をやっていない人にも、共感を覚えるところではないでしょうか。


このように、数学がわかる・わからないに関わらず、万人が満足できる本だと思います。
長々と語ってしまいましたが、これでもこの本の魅力の一部に過ぎません。興味を持っていただけた方は、ぜひとも一度、手に取って読んでみることをおすすめします。


購入はこちらから

残念ながら、中古のものしか売っていませんがこちらのリンクで購入可能です。


英語版のペーパーバックも Amazon で売っています。個人的にはこちらの方が、表紙がかっこよくて好きです。笑
英語が読める方は、ぜひ検討してみては。


レビューは、こちらのサイトにも書いてあります。とても参考になりますので、よかったら目を通してみてください。

「ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」」読んだ - EchizenBlog-Zwei