中国四千年の歴史といいますが、長い歴史だけあって、それ相応の天才が現れています。今日はそんな中国が生んだ天才数学者のお話です。
古代中国の数学史を考えると、数学者として一番に名が挙がるのは「劉徽(りゅうき)」でしょうか。三国志の主人公にそっくりな名前ですが、読み方は違いますし、住んでいたのは「魏」の方です。
2015/07/24 訂正:上記の劉徽の読み方を「りゅうび」と表記していましたが、正しくは「りゅうき」でした。
劉徽は3世紀頃に活躍した数学者で、「九章算法」という数学書の注釈本を書いた人です。九章算法は後に日本にも伝わり、江戸時代の和算家に大きな影響を与えたことで知られています。
もう一つの業績は「円周率の近似値」です。彼は以下のような近似値を得ていたことが知られています。
この近似値が、当時の世界最高精度だった点も特筆すべきでしょう。Wikipediaによると、アルキメデスの方法を発展させて、円に接する正3072角形を用いて計算したそうなのです。
アルキメデスの計算自体も、なかなかに気違い染みたものであったことは、以下の記事で紹介した通りです。
tsujimotter.hatenablog.com
この意味でも、劉徽の方法はまさに偉業といってよいでしょう。
個人的には、当時の中国は既に10進小数に近い概念を持っていた、という点が非常に興味深いです。
さて、劉徽のお話もなかなか面白いのですが、今回特にお話したいのは、もう一人の古代中国の数学の英雄「祖沖之(そちゅうし)」についてです。
祖沖之と密率
祖沖之は5世紀に活躍した数学者で、本記事の主人公です。暦法の研究にも関わっていたことで知られています。
彼の偉大なる業績は、やはり円周率の近似値でしょう。それも、超精密な近似値「密率」です。密率は、比較的よく知られている通り、以下で示される円周率の近似分数です。
この密率が、どれだけ凄まじい精度であるかは、この分数を小数展開してみれば明らかです。
小数点以下6桁まで一致しています。アルキメデスが小数点以下2桁、劉徽の近似値が小数点以下4桁ですから(これでも十分凄いが)、それらと比べても、とてつもない精度であることが分かります。
ここで気になってくるのが「彼がなぜこのような分数を得ることができたのか?」という点です。これが今日一番お話ししたいことです。
暦と近似分数
ところで、本題に行く前に「なぜ祖沖之は分数で近似したのか」という点に触れておきましょう。冒頭で述べたとおり、この時代中国には10進法に近いものがありましたので、わざわざ近似分数を求める必要がないと思うかもしれません。
1つの理由は「分数の方が簡単に表記できるから」ですが、実はもう1つ大きな理由があります。そしてこれが祖沖之のもう1つの仕事である「暦」に関連するのです。
暦を考える上で最も重要なのは「1年はいったい何日であるか?」という問題です。
太陽が昇ってから次にまた昇るまでを「1日」とカウントしたとき、地球が太陽を1周回るのにかかる日数(つまり1年)は、どうしてもぴったりとした値にならず、端数が生じてしまいます。公転の周期が自転の周期の整数倍にならないためです。
したがって、何年かに1回は、1年の長さを長くしたり短くしたりして、調節する必要が出てきます。これがいわゆる「閏年」というものです。
たとえば、1年の長さを 日としましょう。分数で表すと となりますが、このことは4年に1回は「1年の長さを1日増やす」必要があることを意味します。 の形をした分数を単位分数といいますが、単位分数が正であれば 年に1回「1日加える」、負であれば 年に1回「1日減らす」必要があります。
もちろん、実際は のようにきれいな形で表せませんから、後ろに や がくっついてくるわけです。これが現代一般的に用いられる暦の考え方です。
この例から分かるように、(1年の日数+単位分数)の形にすることで「何年に1回、閏年が現れるか」を示すことが出来ます。
閏年を正確に表さないと、どんどん1年がずれていくという問題が発生し、たとえば作物の栽培に影響が出ます。また、正しい暦を制定することは為政者の威信に関わることであり、政治的にも非常に重要です。
小数を分数で正確に近似することは、このような実用的な意味があったのです*1。
ここはどうしても私の推測になってしまいますが、以上のような背景を考えて、祖沖之にとっては円周率も近似分数で表すというのは自然な成り行きだったのではないでしょうか。
密率の求め方
さて、近似分数で表すメリットが分かったところで、本題の「どのように密率を求めたか」に迫っていきましょう。もちろん、暦の計算にヒントがあります。
暦の計算に対する実利的な目的もあって「小数を近似分数で表すこと」に関しては彼らは非常に洗練された方法をもっていたと言われています。
特に興味を惹かれるのは、彼らが知っていたであろう、以下の定理です。
を正の整数とし と表されるとき、以下の不等式が成り立つ。
ただし、 は を満たすものとする。
2015/07/24 訂正: の条件が必要でしたので、追記・修正しました。
ここで、不等式に挟まれた新たな分数 は、 であれば に近づき、 であれば に近づきます。
これを円周率の計算に応用すると、次のようになります。
まず、 かつ となるように両端の「粗い」近似分数を定めます。先の定理により、適当に を決めると、新たに が得られますが、これは左右の分数よりもより に近い値をとるはずです。 との大小関係を考えてあげて、両端のいずれかを置き換えてあげれば、より近似精度の高い不等式ができあがります。これを繰り返していけば、 に近づく近似分数が得られるでしょう。
ところで、この方法はもう少し洗練させることができます。先ほど を適当に選ぶといいましたが、もう少しうまい数を選ぶことにしましょう。最初の両端の分数、たとえば の方が より の真値に近いことが分かっているとしましょう。
ここで、中心の分数を に近い方の分数( )に近づけるために、 はそのまま残して、 とします。
これが、 の真値に近いわけですから、
となるような を選べば良いことが分かります。具体的には、 を仮に、実数 に置き換えて、
とした上で、これを について解きます。得られた解 は当然小数になりますが、もっとも近い整数に丸めてあげて、これを とすれば、 は にきわめて近い値をとるようになるでしょう。
これが祖沖之が用いたとされる方法です。
もちろん、ここまで一般的な形で知っていたかどうかは定かではありませんが、少なくとも経験的にこれを理解していて、計算に用いていたのでしょう。
何はともあれ、抽象的な議論だとよくわからないと思いますので、具体的に値を求めていきましょう。
約率を求める
まず、よく知られた簡単な事実 を使って、アルキメデスの約率 を求めてみます。
使うのは、不等式 です。これは周知の事実としてよいですよね?
さて、両端は上の定理の記述に合わせて言うと、 となり, より条件を満たします。
これを使って、近似分数を求めるわけですが、先に述べたうまい方法を使います。 のほうが、より の真値に近いとします。
すると、中心の分数は、
となるわけですが、この を と置き換えて、
が成り立つようにしてみましょう。
について解くと、
これに を代入すると、
が得られます。この数に最も近い整数は ですから、これを選んで とします。
改めて、元の式に代入すると
となって、約率 が得られました。
続いては、いよいよ本題である密率です。
密率を求める(メイン)
お待たせしました。密率を求めましょう。
ここで置きたい仮定は、冒頭で紹介した「劉徽」が求めた近似小数 です。これは、祖沖之の時代より前に得られた成果ですから、当然使っても良いでしょう。
また、アルキメデスによって約率も得られていて、さらにこれが外接円の長さが由来であるため、 より大きいことは既知とします。
すると、以下の不等式が得られるでしょう。
これを元に、同様の議論で計算を進めていきます。
まず、両端の分数は となり, より条件を満たします。そして今度は のほうが、 より の真値に近いことがわかります。
したがって、中心の分数は の方を残して、
となるわけです。以降は同様に、この を と置き換えて、
が成り立つようにしてみましょう。
について解くと、
これに を代入すると、
が得られます。この数に最も近い整数は ですから、これを選んで とします。
改めて、元の式に代入すると
となって、見事、密率 が得られました。
いや〜、これは嬉しいですね!!!
ちゃんと、求まっちゃいました。
参考文献
今回書いた内容は、実はほとんど以下の記事に書いてあったりします。タイトルもかなりインスパイアされています。
内容は前々から気になっていたのですが、この文献を読んでもまったく腑に落ちなかったもので、しばらく放置していたのですね。
ところが、最近になって改めて読んでみると、あら不思議、すんなり納得ができました。なぜ今までわからなかったかわからないくらいに。これがあまりに気分よかったので、人にどうしても話したくなった、というのがこの記事を書いた経緯です。
正確な史実は私も専門ではありませんので、できれば上の文献を参考にして頂くとして、この記事ではざっくりと感覚を掴んで頂いて、先人の発想に感動してもらえたら嬉しいです。
もう1つ参考文献を挙げておきます。
厳敦傑『祖冲之科学著作校釈』遼寧教育出版,2000年
私の知り合った数学史の先生の、そのまた知人の方からご紹介頂いた本です。その方の紹介文を引用させて頂きましょう。
こちらの文献では,厳敦傑の遺稿が「祖冲之《九章算術》円田術注釈」として収録されていて,その中で厳敦傑は祖冲之が与えた注釈を詳細に分析して,355/113が得られることを示しています.その意味では一定の根拠を持って議論をしているようです.
かなり信憑性がありそうですね。
といいつつ、この文献、私はまだ手に入れていません。実はとある事情があって手に入れることが出来なかったのです。そのため、私にとってはちょっと「いわくつき」の本なのですが、これについてはまた別の記事でお話することにしましょう。
もし、手に入りそうな情報がありましたら、ご一報頂ければ泣いて喜びます。繁体字の中国語ですが「数学は世界共通語」だと思って、頑張って読んでみたいのです。
それでは、今日はこの辺で。
まとめ
もともとの個人的な動機としては、なぜ なのか、もっというと と という数字は、いったいどこからやってきたのか、について知りたいというものでした。
結果的には、実はこの数字は、
ということがわかり、とてもスッキリした気分になりました。ちゃんと元の近似値である , が含まれているでしょう。この書き方に意味があるかどうかはわかりませんが、こういう書き方としてみることができる、ということ自体が面白いのだと思います。
最後に、タイトルの問い「祖沖之は如何にして密率を得たか」を回収しておきましょう。
簡潔に答えるとすれば、祖沖之の時代までに知られていた「劉徽による近似小数」を仮定として用い、当時祖沖之をはじめとした暦法家が得ていたであろう小数を近似分数で表す方法を自然に運用すると、たしかに密率が得られる、ということでしょうか。
今回の話の一番の肝は、一見まったく関係なさそうに見える「祖沖之の仕事であった暦法」「祖沖之のそのまた先人である劉徽」が見事に関係している、という点だと思います。歴史や時代背景があった上での発見なのだと、いうことが実感できると思います。
数学史、面白いなあ!
*1:ちなみに、話を簡単にするために上のような例に挙げましたが、当時の暦はこのように洗練されたものではありません。より正確には、文末に記した文献にある通りです。上の例は、単に分数が重要であることを説明したかっただけなので、史実の誤解をされないように念のため補足しておきます。