tsujimotterのノートブック

日曜数学者 tsujimotter の「趣味で数学」実践ノート

ミレニアム問題「BSD予想」の主張を1から理解したい!(ざっくり編)

ミレニアム問題 という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

アメリカのクレイ研究所という数学の研究所によって2000年に発表された、数学における7つの未解決問題のことです。21世紀に解かれるべき重要な問題がリストアップされており、それぞれに 100万ドルの懸賞金 が掛けられたことで知られています。

有名なものだと リーマン予想ポアンカレ予想 があります。ポアンカレ予想だけは2003年に解決されていて、解決の際に大変話題になったのを覚えている人も多いかと思います。

ミレニアム問題の一覧をリストアップしてみましょう:

  • ヤン–ミルズ方程式と質量ギャップ問題
  • リーマン予想
  • P≠NP予想
  • ナビエ–ストークス方程式の解の存在と滑らかさ-
  • ホッジ予想
  • ポアンカレ予想
  • バーチ-スウィンナートン・ダイアー予想


今回紹介したいのは、リストの最後に挙げた

バーチ-スウィンナートン・ダイアー予想
です。

バーチ-スウィンナートン・ダイアー予想は、バーチスウィンナートン・ダイアー という2人の数学者によって提唱された予想で、名前の頭文字をとって BSD予想 と呼ばれます。今回の記事でも以降BSD予想と呼ぶことにします。

(注)よく誤解されますが、予想を提唱したのは2人です。名前の繋がり的に3人に見えますが、2人です。


みなさんはこのBSD予想についてどのくらいご存知でしょうか?

ミレニアム問題に興味を持ち、一度くらいはBSD予想について調べてみようと思ったことがあるのではないでしょうか。そして、Wikipediaで検索してみてもよく分からなかった、「楕円曲線」「ランク」「L関数」と色々な用語が出てきて何のこっちゃ分からなかった、そんな方も多いのではないかと思います。この記事はそんなあなたのための記事です。

BSD予想はそもそも主張を理解するためだけであっても一定の専門知識が求められるため、ミレニアム問題の中では知名度が低いかもしれません。一方で、私個人の主観に基づく評価ですが、BSD予想はミレニアム問題の中で 一番面白い予想 だと思います。こんなに面白いのに知られていないのはもったいないと思っています。

そんなBSD予想の主張を紹介し、どんな風に面白いのかを説明して、読者の皆様にその魅力を感じてもらいたい、というのが今回の記事の趣旨です。


今回の記事は「ざっくり編」です

BSD予想の主張を理解するにあたって、本来であればさまざまな前提知識が必要になります。これらの前提知識はなかなか専門的なものですので、正確な定義を理解するためにはそれなりの時間が必要です。

しかしながら、BSD予想の主張をなんとなく感じとりたいという目的であれば、厳密な定義を避けて直感的な説明をすることは十分に可能だと思います。


今回の記事は、まさにそのような試みとなっています。あくまで直感的な理解を目指して、楕円曲線やBSD予想の主張について、ざっくりと解説したいと思います。題して

ミレニアム問題「BSD予想」の主張を1から理解したい!
(ざっくり編)

です。 

より詳しく知りたい方のために『詳細編』も用意していますので、この記事を読んだ後には、ぜひそちらにもアクセスしてみてください。
(本記事の最後に『詳細編』の紹介とリンクが掲載されています。)

BSD予想とは

BSD予想における登場人物は

「楕円曲線」(楕円曲線に付随する)L関数」

です。BSD予想は、これら2つの数学的対象の間の関係についての予想です。


まず、楕円曲線 について紹介します。

たとえば

 E_1\colon y^2 = x^3 + 1 \tag{1}
 E_2\colon y^2 = x^3 - 2 \tag{2}

というような曲線が楕円曲線です。これらの曲線の名前は、楕円曲線(Elliptic curve)の頭文字をとって、それぞれ  E_1, E_2 と呼ぶしましょう。

左辺が  y についての2次式、右辺が  x についての3次式になっているのがポイントです。このような方程式で定義された曲線を一般に楕円曲線といいます。

楕円曲線は高校までの数学では扱われないような曲線です。高校までに扱った曲線は
 y = ax, \;\; y = x^2, \;\; x^2 + y^2 = 1, \;\; 2x^2 + 3y^2 = 1, \;\; x^2 - y^2 = 1

というような曲線でした。それぞれ、直線・放物線・円・楕円・双曲線で、どの曲線についても  x, y の次数が高々  2 次であるような曲線でした。

楕円曲線は、 3 次の項が含まれる分、上記の曲線よりも「ちょっとだけ複雑な曲線」だといえます。

なお「楕円曲線」は「楕円」ではないことに注意しましょう。

イメージが大事だと思いますので、楕円曲線  E_1, E_2 を図示してみましょう。こんな感じの図形です。

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楕円曲線は図のように「連続的な曲線」ですが、ここでは特に  x 座標と  y 座標がどちらも有理数になるような点 を考えます。方程式でいうなら、式  (1) の有理数解といっても良いでしょう。

このような点を楕円曲線  E_1有理点 (あるいは  E_2 の有理点)といいます。 E_1 の有理点全体の集合を  E_1(\mathbb{Q}) E_2 の有理点全体の集合を  E_2(\mathbb{Q}) と呼ぶことにしたいと思います。


この  E_1(\mathbb{Q}) E_2(\mathbb{Q})、あるいは、一般の楕円曲線  E に対する  E(\mathbb{Q}) について、こんな問いを投げかけてみましょう:

 E_1(\mathbb{Q}), E_2(\mathbb{Q}) の要素はいったいどれぐらいあるでしょうか? 有限個でしょうか、無限個でしょうか?


実は、 E_1 の場合は  E_1(\mathbb{Q}) の要素数は 有限個 になり、 E_2 の場合は  E_2(\mathbb{Q}) の要素は 無限個 になります。

楕円曲線によって異なる というのが答えです。有限個の場合もあるし、無限個の場合もあります


BSD予想は、まさにこの  E(\mathbb{Q}) が無限か有限かという問題に、一つの答えを与えてくれる予想となっています。



つづいて、もう一方の登場人物である L関数 について紹介しましょう。

楕円曲線  E に対し、 L(E, s) という関数が定まります。 L(E, s) は楕円曲線  E に付随するL関数 と呼ばれます。

L関数というのは、このブログにもよく登場するリーマンのゼータ関数

 \displaystyle \zeta(s) = \sum_{n=1}^{\infty} \frac{1}{n^s} \tag{3}

のちょうど親戚にあたるような関数です。

リーマンのゼータ関数は式  (3) の関数が唯一ですが、L関数はたくさんあり、楕円曲線1つに対してL関数が1つ定まります。

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 L(E, s) は、楕円曲線  E の情報を使って作られる関数です。具体的な仕組みについては後ほど少しだけ説明をします。変数  s は、リーマンのゼータ関数と同じように複素数の範囲を動きます。

BSD予想では、この関数の特に  s = 1 における値 に注目します。

リーマンゼータ関数  \zeta(s) は、  s = 1 のときに無限大に発散しました。一方の  L(E, s) s = 1 で値を持ちます。

今さらっと事実を述べましたが、この事実の背景にはとても興味深い理屈があるのです。これについては、少しもったいぶらせてください。「詳細編」で述べることにしたいと思います。


 s = 1 の値に注目して  E_1, E_2 に付随するL関数  L(E_1, s), \; L(E_2, s) を観察してみましょう。

Sagemathというシステムを使って、L関数の値を計算しました。 s の実部と虚部に対して、L関数の絶対値  |L(E, s)| をプロットしたのが次の図になります:

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図の「凹んでいる赤色の点」の周辺が、L関数の値が  0 になる点です。その点に着目して観察すると、 E_1 の方は  L(E_1, 1) \neq 0 であるのに対し、 E_2 の方は  L(E_2, 1) = 0 となっています。一方で、 E_1(\mathbb{Q}) が有限個で、 E_2(\mathbb{Q}) が無限個であったことを思い出しましょう。


実際、次が成り立つことが予想されています:

 E(\mathbb{Q}) の個数が有限個  \;\; \Longleftrightarrow \;\; L(E, 1) \neq 0\tag{4}

また同値な予想として

 E(\mathbb{Q}) の個数が無限個  \;\; \Longleftrightarrow \;\; L(E, 1) = 0 \tag{5}

これらがまさに BSD予想 の主張(の一部)です。


BSD予想は、楕円曲線  E の有理点の個数が無限かどうかは、 L(E, 1) が教えてくれる という予想だと言えます。我々が知りたかった楕円曲線  E の有理点の個数の情報が、 L(E, 1) を見ればわかるというのです。



正確にいうと、上記で述べた予想はBSD予想そのものではなく、BSD予想の主張の一部です。

実際のBSD予想は、これよりもう少し精密なものになっています。上記の予想は「有理点の個数が有限個か無限個か」についてのものでしたが、BSD予想ではそれ以上の情報が分かるというのです。

BSD予想の本来の主張を標語的に表すと、次のように表現できるでしょう:

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正確な主張は次のものです。より踏み込んだ説明が必要なので「詳細編」でじっくりすることにしましょう。

BSD予想
 E \mathbb{Q} 上の楕円曲線とする。 E(\mathbb{Q}) E \mathbb{Q}-有理点のなす群とし、 L(E, s) E に付随するL関数とすると、次が成り立つ:

 \displaystyle \operatorname{rank}_{\mathbb{Z}} E(\mathbb{Q}) = \operatorname{ord}_{s = 1} L(E, s) \tag{6}

ただし、 \operatorname{rank}_{\mathbb{Z}} \mathbb{Z} 上のランク(階数)を表し、 \operatorname{ord}_{s = 1} s = 1 における零点の位数を表す。

 
 

BSD予想の魅力

最後にBSD予想について、私の思う魅力について3つ述べたいと思います。

1つ目は、数学的な深さ です。

ここまで読んできた読者の中には、こんな風な疑問を持った方もいるのではないでしょうか。

 L(E, s) は元々楕円曲線  E の情報を使って定義されているのだから、 L(E, s) E についての情報を持っていたとしても不思議ではないのでは。

きわめて自然な疑問だと思いますが、 L(E, s) の定義に踏み込んで考えれば、そう単純な話ではないとわかります。

 L(E, s) は、楕円曲線  E の方程式を「素数  p で割ったあまり」で考えたときの情報によって定義されます。つまり  E\colon y^2 = x^3 + 1 であれば

 y^2 \equiv x^3 + 1\pmod{2}
 y^2 \equiv x^3 + 1\pmod{3}
 y^2 \equiv x^3 + 1\pmod{5}
 y^2 \equiv x^3 + 1\pmod{7}
 \vdots

という合同式を考えます。方程式の「 \bmod{p} での解の個数」を  N_p としたとき、 N_2, N_3, N_5, N_7, \ldots を使って  L(E, s) が定義されるのです。


実際、 L(E, s) はこんな風に定義されます:

 \begin{align} \displaystyle L(E, s) := &\frac{1}{1 - (2+1-N_2)\frac{1}{2^s} + \frac{1}{2^{2s-1}}} \times \frac{1}{1 - (3+1-N_3)\frac{1}{3^s} + \frac{1}{3^{2s-1}}} \\ 
&\times \frac{1}{1 - (5+1-N_5)\frac{1}{5^s} + \frac{1}{5^{2s-1}}} \times \frac{1}{1 - (7+1-N_7)\frac{1}{7^s} + \frac{1}{7^{2s-1}}} \times \cdots \end{align} \tag{7}


 L(E, s) の定義はかなり複雑に見えますが(実際かなり複雑ですが)、そこには  E の有理点についての情報は使われていません。一見すると、有理点とはまったく関係ないように見えます。

これらの情報がなぜか結びついてしまうというのが、BSD予想の不思議なところなのです。


一見関係ないように見える二つの対象が、結びついてしまうというのは、その背景にきっと深い理由があるはずです。BSD予想のような現象は、あくまで表面的に見えている氷山の一角なのだと思います。本当はもっと深い数学的な関係が隠れているはずで、見え隠れする数学の世界の深遠に私はワクワクします。


2つめは、発見の経緯の面白さ です。

BSD予想がコンピュータによる計算によって予想されたというのも、なかなか興味深いエピソードだと思います。

BSD予想が提唱されたのは、1960年代初頭です。当時、コンピュータと呼ばれるものが登場したばかりでした。スウィンナートン・ダイアーは、EDSAC*1の後継機であるEDSAC 2を使って式  (7) の計算をし、BSD予想に至ったそうです。

この辺の計算も、現在のパソコンを使って実際にトレースすることができます。計算して楽しむことができるというのも面白いです。「詳細編」では、この具体的な計算もやってみたいと思います。


3つめは、これは個人的な理由ではありますが、解決のための手法の面白さ です。

BSD予想は未解決問題ですが、実は予想の一部分については既に解決しているのです。最初のブレイクスルーは、コーツとワイルズという数学者によるものなのですが、その論文では  \mathbb{Z}_p 拡大 という 岩澤理論 的な発想が用いられています。

岩澤理論は、まさに私がこれまで追いかけてきた「お気に入りの」理論だったので、この事実を知ってBSD予想にとても興味が湧いてきました。BSD予想の研究はコーツ-ワイルズよりさらに進んでいるようで、それらの研究においても岩澤理論的な手法は使われているようなのです。BSD予想はどこまで解決したのか、そして部分的解決の糸口となった手法はいったいどのようなものなのか。これらについても掘り下げて理解できたらと思っています。

コーツ-ワイルズの論文については、以前の記事で(かなり難しい内容ではありますが)その概要をまとめたことがあります:
tsujimotter.hatenablog.com


色々紹介してきましたが、BSD予想の魅力は伝わりましたでしょうか?

もちろん、今回紹介したことはあくまで表面的なものです。BSD予想の面白さをより深く実感するには、今回ざっくり説明した話を、より詳しく・正確に理解する必要があります:

  • 楕円曲線とは
  • 有理点とランクとは
  • 楕円曲線に付随するL関数とは
  • BSD予想の正しい主張とは

「ミレニアム問題「BSD予想」の主張を1から理解したい!(詳細編)」では、上記について1からじっくりと説明したいと思っています。その上で次のような「もう少し踏み込んだ解説」をできればと思っています:

  • BSD予想はどうやって予想されたのか
  • BSD予想はどこまで解決されたのか

楕円曲線やBSD予想について、もっと詳しく知りたいという方はぜひご覧になってください。


ここまで読んでくださりありがとうございました!

それでは、今日はこの辺で!


続きが知りたくなったあなたへ『詳細編』

『詳細編』は『ざっくり編』と説明された内容を、より詳しく・より正確に理解するための助けになる記事となっております。(有料記事です)

今回解説したように、BSD予想自体は雰囲気だけ触れるだけでもとても楽しいものです。しかしながら、背景知識を深く理解することで、もっと面白く感じることもできるのです。ある程度理解していれば、自分で計算実験することもできますし、最近の研究成果の概要を掴むこともできるようになります。

『詳細編』ではBSD予想の主張に現れるさまざまな用語「楕円曲線」「有理点」「ランク」「L関数」「位数」。これらの用語の背景にある数学的な意味を解きほぐし、BSD予想はなぜ面白いのか、その魅力に迫ります。

ぜひ以下のリンクからご覧いただければと思います。(「note」というサービスを利用しています。)
note.com


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*1:世界初の実用的なプログラム内蔵方式の電子計算機